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第十回 日本三名狸伝説を巡る旅 新潟編

第十回 日本三名狸伝説を巡る旅 新潟編

2020/09/17

 夏も終わりを迎え、遠くのヒグラシの声に郷愁を感じる時期となりました。気づけば、いつの間にかススキの穂が風に揺れ、萩のつぼみはほころび始めています。
 前回の記事では、屋島の「太三郎狸(たさぶろうたぬき)」をご紹介しました。今回は、日本三名狸から、佐渡の「二つ岩団三郎狸(ふたついわだんざぶろうたぬき)」をご紹介します。四国から本州を飛び超えて向かうのは、日本海に浮かぶ佐渡島(新潟県)です。かつて「黄金の国ジパング」を支える金銀山の町として栄えた佐渡では、佐渡薪能やたらい舟など、独自の文化が受け継がれています。

飛島

 絶景に彩を添えるオレンジ色の花は、「トビシマカンゾウ」。山形県の飛島(とびしま)と、佐渡島にしか咲かないユリ科の多年草です。佐渡では「ヨーラメ(卵をはらんだ魚)」と呼ばれるこの花は、「咲けば海が活きかえり、魚も生きかえる」と言い伝えられ、地元の人々に大切にされています。

佐渡の金山と狸伝説

 平安時代から金が取れる島として名高かった佐渡は、江戸時代に徳川家康によって天領とされ、一気に鉱山の開発が進みました。その金の豊富さは、「市場で売られたネギの泥に砂金が混じっており、民衆がこぞって畑の土を取りに来たので、農家が困ってしまった」という逸話が残るほど。かつては金と銀を産出する55もの鉱山があり、日本最大の産出量を誇っていました。しかし、資源の枯渇が進み、平成元年にその歴史に幕を閉じました。
 現在、鉱山内は採掘の様子が再現された資料館となっており、夏なおひんやりと薄暗い坑内を探検しながら、当時の雰囲気を感じることができます。

鉱山跡
鉱山跡を歩いてめぐることができる。
坑道道遊の割戸
左:夏でも15℃以下に保たれ、ひんやりした坑道
右:道遊の割戸(どうゆうのわりと)。巨大な金鉱を掘り進むうちに、山がVの字に割れてしまった。

 この金山につきものなのが、狸にまつわる逸話です。もともと、佐渡は狸がいない島でした。しかし、鉱山で炉を熱するために使うふいごに狸の毛皮を貼ると、隙間がなくなって効率が良くなるというので、平安時代に本土から沢山の狸注1が持ち込まれ、野生化したのでした。
 日本では古くから五穀豊穣や商売繁盛などを願い、稲荷神が祀られてきました。稲荷神の遣いといえば、狐ですね。一方、佐渡には狐がおらず、昔から狸を祀っていたそうです。中でも、「二つ岩団三郎」と呼ばれる狸は、実に神妙自在に人を化かす力を持っていたといわれ、今でも二ツ岩神社(佐渡市相川町)に「二ツ岩大明神」として祀られています。

狸
狸(国際日本文化研究センター
裕福で義理堅い、二つ岩団三郎

 さて、団三郎が日本三名狸と呼ばれる所以には、狸の軍勢を従えた勢力、智慧と変化の巧妙さに加え、金山の恩恵による裕福さがあったようです。大正七年に発行された『日本伝説叢書 佐渡乃巻』には、こんな逸話が載っています。

 ある晩、佐渡に住む医者のもとに、急病人の知らせが舞い込みました。医者は、迎えの駕籠に乗り込んでその家に向かい、病人に薬を与えてやりました。
 その四、五日後のことです。「元気になったので、ぜひお礼をしたい」と、患者が自ら訪ねてきました。ところが、お盆に積んで差し出したのは、なんと数百枚もの金貨注2だったのです!
 医者は大変怪しみ、その男に問いかけました。「少々薬を差し上げたからと言って、こんなにお礼はいただけません。私は長年ここに住んでいますが、あなたをお見かけしたことがないようです。あなたは一体何者なのでしょうか」すると、その男は微笑んで、「疑われるのも、もっともです。実は、私は人間ではありません。狸の二つ岩団三郎なのです。どうか、このお礼を受け取って下さい」と答えるではありませんか。
 「団三郎であれば、ますます受け取れません。金は人間には宝ですが、動物には意味のないもののはず。これは、良くない方法で手に入れた財に違いありません」医者は首を大きく振って、受け取りを拒みました。
 団三郎は、なおも頼みます。「私の金は、悪さをして手に入れたものではありません。あるときは戦で、またあるときは水害によって、溝や谷に埋もれたものを拾い集めているのです。どうか疑わずに受け取って下さい」しかし、医師が固辞して受け取らなかったため、その日はあきらめて立ち去りました。
 次の日、団三郎は再度医師の元を訪れ、一口の短刀を取り出しました。「これは、私が長年秘蔵としてきた名刀です。命を助けて頂いたのに、お礼を受け取ってもらえないのでは気がすみません。どうかこれを受け取って下さい」そして、刀を主人のそばに置いたとたん、ふっと姿を消してしまいました。医師は、その短刀を家宝として伝えたということです。

 このように羽振りのよかった団三郎狸は、かつて人間相手に金貸しも行っていまいした。金を借りようと思った者は、金額と返却の期日を紙に書き、印鑑を押して団三郎の穴の前に置きます。団三郎に貸す気があれば、次の日の朝に、ちょうどの金額が穴の口に置いてあったのだそうです。その後、金を借りる者が後を絶たなくなり、返さない者も増えたので、ついには金貸しを止めてしまったと伝えられています。

団三郎狸
金貸しをする団三郎狸(暁斎百図 国立国会図書館デジタルコレクション

 いかがでしたか?

 次回は日本三名狸の最後の一匹、淡路島の「芝右衛門狸(しばえもんだぬき)」をご紹介します。芝右衛門狸が名狸に数えられる所以と、その身に起きた哀しいできごととは?どうぞ楽しみにお待ちください。

[脚注]
注1:佐渡では狸を「貉(むじな)」または「とちんぼ」と呼ぶそうです。この記事では「狸」で統一しています。
注2:実際の記述は「方金(ほうきん)」。長方形の金の通貨で、一分金、二分金、一朱金、二朱金などを指します。一分金が四枚で、小判一枚分の価値がありました。

[Reference]
佐渡の昔のはなし』不苦楽庵主人 編著 池田屋商店出版部 昭和16年発行(国立国会図書館デジタルコレクション)
史跡 佐渡金山 2020年9月18日
ZEKKEI Japan 「まるでラピュタ城!新潟県の「佐渡島」は実は絶景の宝庫だった」 2020年9月18日
日本伝説叢書 佐渡の巻』藤原衛彦 編 日本伝説叢書刊行会 大正七年発行(国立国会図書館デジタルコレクション)

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