薫風が木漏れ日を揺らし、空気にみずみずしさがあふれる季節となりました。道を歩けば、強さを増した陽ざしのもと、花々が湧き立つように咲きこぼれています。山や湖は新緑に彩られ、いっそう美しく私たちの目を楽しませてくれます。
なかでも、富士山や琵琶湖は日本が誇る絶景です。これらの絶景誕生の裏には、ある巨人の奇妙な物語があったことをご存知でしょうか?日本各地にその痕跡を残す巨人の名は、「だいだらぼっち(大太郎法師)」。今回は、日本各地の地形に残るだいだらぼっちの手や足の跡から、がんばりや失敗の跡までをご紹介します。
常陸国風土記とだいだらぼっち
日本に巨人が住んでいたことは、平安時代(721年)に編纂された「常陸国風土記(ひたちのくにふどき)」に記録されています。常陸国の大櫛(おおくし)の丘(現在の茨城県水戸市塩崎町辺り)に一人の巨人が腰かけ、海辺まで手を伸ばしてハマグリを食べていたのだそうです。この大櫛の丘から海岸線までの距離は、約5キロメートル。いかに巨人が大きかったかがわかりますね。
この巨人が、だいだらぼっちだとされています。「だいだらぼっち(大太郎法師)」は、「一寸法師」の逆の意味を表す呼び名です。気は優しくて力持ちのだいだらぼっちは、人間の頼みを聞いて山を移動させたり、水を引いてくれたりすることもあったそうです。
日本各地に残るだいだらぼっち伝説
静岡県と山梨県にまたがる、富士山。近年世界文化遺産に登録された、日本一の標高(標高:約3,776メートル)を誇る霊峰です。この富士山は、だいだらぼっちが作ったと言われているのをご存知でしょうか。しかし、これだけの大きさの山を作るとなると、大量の土が必要となるはずですね。いったい、その土はどこから持ってきたのでしょう?
答えは、滋賀県です。そのため滋賀県には日本一大きな窪みができ、そこに水が溜まって、海のように広い琵琶湖(表面積:約670平方キロメートル)ができたのだと言われています。
このご縁で、琵琶湖のほとりにある近江八幡市と、富士山麓にかけて広がる静岡県富士宮市は、全国でも珍しい夫婦都市協定を結んでいます。毎年夏になると、琵琶湖の水を取って富士山頂に注ぐ「お水取り」と、富士山頂の湧水を汲んで琵琶湖に注ぐ「お水返し」という儀式が行われています。
だいだらぼっちの手の跡、足の跡
琵琶湖から富士山へ向かう途中にある静岡県浜松市には、だいだらぼっちの手の跡が残されています。伝説によると、富士山にもっこ(担ぎ棒の両端に下げた網に土を入れ、運ぶ道具)で土を運んでいたある日、ちょうどこの辺りでお昼の時間がきたのだといいます。だいだらぼっちは空腹のあまり、よろめいて手をついてしまいした。その手の跡に水が流れ込み、浜名湖ができたと言われています。また、浜名湖の岸で腹ごしらえをしていた際、お弁当につぶて(小石)が混じっていたので、箸でつまんで放り投げました。浜名湖にちゃぷんと浮かんだその小石は、浜名湖唯一の島となり、「礫島(つぶてじま)」と呼ばれるようになりました。周囲300メートルほどのこの島(小石というサイズではないですね!)は、以前は観光スポットだったようですが、現在では人の立ち入りができなくなっています。
その他にも、だいだらぼっちが歩いた痕跡は私たちの身近なところに残されています。もっこで土を運ぶその間に、各地でこぼれた土は大小様々な山となり、歩いた後には窪地や池が残されました。例えば、窪地である東京都世田谷区の代田(だいた)や埼玉県さいたま市幸区の太田窪(だいたくぼ)などの地名は、だいだらぼっちの名前が由来とされています。
次回の記事では、いよいよだいだらぼっちに会いに行けるスポットをご紹介いたします。どうぞ楽しみにお待ちください。
*★未公開写真をinstagramで公開中です!★*
[Reference]
「神事 富士へ結ぶ 琵琶湖『お水取り』近江八幡/滋賀」毎日新聞2016年7月17日 地方版 2020年5月29日
浜松市 明日言いたくなる!浜松小ネタ情報局 その4「浜名湖唯一の島『礫島』はどうしてできた?!」2014年10月7日 2020年5月29日
観光、文化に関する和文・英文ライティング(記事執筆)、多言語翻訳を随時受け付けております。
お問い合わせはこちら
※当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。