前編では、日本各地に残るだいだらぼっちの伝説をご紹介しました。さて、そろそろだいだらぼっちに会いに行きましょう。向かうのは、いにしえの『常陸国風土記』の舞台となった、茨城県です。
茨城県に息づくだいだらぼっち伝説
写真は、茨城県東茨城郡大洗町にある大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)の「神磯の鳥居」です。二柱の神が姿を現したとされる注1この磯は「神磯(かみいそ)」と呼ばれ、神聖な地として鳥居が建てられたのだそうです。荒波に洗われる神秘的な鳥居ごしにご来光を写真に収めようと、毎年数多くの観光客がこの地を訪れます。
神磯の鳥居が立つのは、その昔だいだらぼっちが貝を採っていた海岸です。ここから車で10分ほど走れば、『常陸国風土記』に登場した大櫛の丘(現:大串貝塚ふれあい公園)があります。だいだらぼっちは丘の上で、今も人々の暮らしを優しく見守り続けています。
茨城県では、だいだらぼっちは地域によって「デーダラボウ(県央・県西)」、「ダンデェさん(稲敷市)」、「大田魔人(利根町)」などと呼ばれ、様々な伝承が語り継がれています。
だいだらぼっちの失敗と筑波山
茨城県つくば市には、百人一首の歌注2にも詠まれた名峰、筑波山(つくばさん)がそびえています。朝な夕なに紫にかすむその美しい姿から、ついたまたの名は「紫峰(しほう)」。標高は877メートルで、展望台から広がる眺めは、関東平野の大パノラマ。その見晴らしは、内陸部にありながら、かなたに太平洋のきらめきが望めるほどです。
筑波山は、男体山・女体山の2つに分かれており、「M」のような形をしているのが特徴です。しかし、一説によると、元々の山頂は一つだったのだそうです。
ある日、だいだらぼっちは「富士山と筑波山の重さを比べてみよう」と思い立ち、2つの山をてんびん棒の両端に載せました。しかし、あまりの重さに、なかなか棒を持ち上げることができません。「えいっ」と気合を入れて、てんびん棒を担ぎ上げたところ、筑波山が「どーん!」と地面に落ちてしまいました。その衝撃で、山頂がぱっくり2つに割れてしまったのだそうです。
「朝寝坊山」と呼ばれた朝房山
また、県央の朝房山(あさぼうやま)には、こんな逸話があります。もともと、この山は当時の村の南側にありました。朝房山が日差しを遮るため、村では作物が十分に育たず、村人たちも朝早く目覚めることができないのでした。村人たちは、「これでは、朝房山ではなくて朝寝坊山だなぁ」などと言って、困っていたそうです。
それを知っただいだらぼっちは、快く山を持ち上げて村の北側に移してあげました。そこで、その村では作物がよく育つようになり、村人たちも朝早く起きられるようになったそうです。
しかし、この山を動かした跡には水が溜まり、雨が降ると村に水害をもたらすようになりました。そのため、だいだらぼっちは指で川と沼を作り、水が下流に流れ込むようにしました。その沼が、水戸市内で今も水をたたえる千波湖(せんばこ)だと言われています。
いかがでしたか?
その他にも、だいだらぼっちは日本各地の様々な地形・地名にその痕跡を残しています。身近な湖や地名に纏わる伝承をひもとけば、あなたの身の回りにひっそり残る巨人の手の跡、足の跡に気付けるかもしれませんよ。
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[脚注]
注1:文徳天皇の在位9年間(850-858)の出来事が記された歴史書、『日本文徳天皇実録(にほんもんとくてんのうじつろく)』によれば、大己貴(おおなむち)神と少彦名(すくなひこな)神が大洗の海岸に姿を現したとされ、大洗磯前神社ではこの二柱を御祭神としています。少彦名は、体が小さい神で、一寸法師のモデルになったといわれています。
注2:百人一首13番
「筑波ねの嶺より落るみなの川 恋そつもりて渕となりぬる[陽成院(869-949)]」
現代語訳:筑波山の二つの山頂からの流れが1つとなった男女川(みなのがわ)が、次第に水かさを増して深い淵となるように、私の恋心も次第につのり、今では淵のように深くなってしまったよ。
[Reference]
茨城の民話webアーカイブ「ダイダラボッチ伝説」
まとめ 茨城の巨人伝説(茨城県各地)
茨城いすゞ自動車株式会社 茨城の昔話・ふるさと紀行 ふるさとの昔ばなしシリーズ
水戸市「朝寝坊山(水戸市)」(2005年1月掲載)
国立公文書館 創立40周年記念貴重資料展I 歴史と物語「6.日本文徳天皇実録」
大洗町・アーカイブ 文化・寺社 洗磯前神社「祭られている神様とその神徳大」
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